Fusayo Kaneko’s stories

絶望の真っ暗な世界から見えた一筋の光が自己表現のツールを与えた

7才 
両親の突然の離婚、突然の転校により不登校に。転校先の事務室で教頭先生から授業を学ぶようになる。明るい性格から突然内気で不安症な子供になったある日、大嫌いな注射のご褒美にとおもちゃのビーズを買ってもらいアクセサリー製作を始める。

  

誰かの背中を押す喜びを知り、他者の未来の扉を開くカギを作ると決める

中学生
転校した親友にアクセサリーをプレゼントをしたところ、「このブレスレットのおかげで頑張れたんだよ」と言われ、自分のアクセサリーが誰かの背中を押す喜びを知る。この経験から、自己表現のための製作から誰かのために作るようになる。
全国ファッション雑誌CANDYにオリジナル作品2点が掲載される。

人間としての修行時代

高校生
時給680円のバイトで貯めたお金でカナダへ語学留学。
現パワーストーン協会会長の元でアシスタントとして働く。
18才〜
働きながら英語を学ぶため夜行バスで往復8時間かけて長野→東京へ通う。4年越しの準備期間を経てアメリカの大学へ入学。渡米後、体調を崩し1学期で帰国。挫折感で家に引きこもる。その後中央大学受験を決意し、商業高校出身で2ヶ月半の受験勉強で合格。大学在学中に奨学金を10種類獲得し、韓国へ語学留学、世界のトップスクールであるシンガポールの国立大学へ交換留学、NYのFITへリベンジ留学。
20才でアパレル店長、金融のデリバティブ、不動産、店舗開発、英語翻訳など50社で働いた後、ジュエリーデザイナーとして独立。

宇宙人としての覚醒期突入

33才
元々スピリチュアル嫌いだったものの、ある日3人の使者(人間)によって突然覚醒させられ目に見えない世界を信じるようになる。沖縄から北海道まで全国を旅しながら展示会でアクセサリーを販売。
35才
「もう出展やアクセサリーのステージではない」という魂からのメッセージを無視し続け、心身だけでなく経済的にもボロボロになる。アクセサリーからファインジュエリーへの転換を決意し、表参道で個展を開催。

世界へ

36才
自分の殻を破り新たな感性を養うため、再びNYへ行くことを決意。

土偶型⭐︎宇宙人たぬよの地球日記

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